我々は、貨幣制度を公共目的追求のために使わなければならず、その結果として誰もが個々の私的な目的をある程度追求できるようになる。我々は、互いに助け合うために、共に貨幣を使うことができる。
当ブログは、こちらの複式簿記を説明した記事を読んでいただいている前提で書いています。未読の方は是非ご一読ください。
当ブログの中で「B払い」という用語を使うことがあります。これは私の造語なので、ググってもd払いが出てくるだけです。ただ、使わせてもらわないと不便極まりないので、普通に使います。
こちらの記事で"B払い"って何かを説明していますので、記事途中で「B払いって何やねんな☹️」ってなったらご覧ください。
目次
本日のお題
( ゚д゚)<さて、
(゚⊿゚)<いっぱい税金を払って、みんなの暮らしを支えている私はもっと感謝されるべきだ!
( ゚д゚)<前回、(´・ω・ `)<これも間違いやで。って言うてたな。
(´・ω・ `)<おう。(゚⊿゚)はカネを払うことがみんなの暮らしを支えることになっとると思うとるみたいじゃけど、そら大きな間違いや。
( ゚д゚)<ほんほん。と言いますと?
ということで、今回のお題はこちらです。
【経済社会における「支え合い」とは何か】
(´・ω・ `)<よろしゅう。
( ゚д゚)<まかしときー。
(´・ω・ `)<ちゃうちゃう。ぼくが教える側よ。
( ゚д゚)<あらー、またまちごうてもうたわ。
(´・ω・ `)<ええんやで。
( ゚д゚)<すまんの。
(´・ω・ `)<ええんやで。
支え合いとはカネを出し合うことではない
[10-2]のとおり、カネとは実体の無いデータです。実体の無いものに人間の暮らしを支えるリアルなパワーはありません。
(゚⊿゚)<リアルなパワー?何のことだ。
(´・ω・ `)<どれだけカネがあっても、それで空腹を満たしたり、病気を治したり、家を建てたりすることはできんじゃろ。
(゚⊿゚)<それは屁理屈だ。たしかに私たちはカネを食ってるわけじゃないが、カネが無いとメシが食えんぞ。
(´・ω・ `)<カネがあればメシが食えるんか?
(゚⊿゚)<当たり前じゃないか。きみはメシ屋に行ったことがないのか?
(´・ω・ `)<それは「カネが無いとメシが食えない」ちゃう。「カネが無いと他人にメシを作って食わせてもらうことができない」や。
(゚⊿゚)<まあ細かいことを言えばそうだな。で、その屁理屈で揚げ足取って何が言いたいんだ。
(´・ω・ `)<屁理屈ちゃうわ。ちゃんと説明したるけー、よー聞いとき。
仕事の成果を持ち寄り、分け合う
私たちの暮らしを支えているのはカネではなく、《財》と《サービス》です。そして、全ての財とサービスは必ず誰かが行った仕事の成果です。
これを少し言い換えれば、私たちの暮らしは必ず誰かの仕事によって支えられています。
つまり、支え合いとは、仕事の成果(財・サービス)を互いに持ち寄って分け合うことであり、私たちの社会は、みんなが仕事の成果を持ち寄り、それを分け合うことで成り立っています。
(゚⊿゚)<なんだ、貨幣を捨てて物々交換に帰ろうって話か。そんなことできるわけないだろうが。
(´・ω・ `)<そんなこと言うてへん。黙って聞いとき。
「貨幣経済」とは
[10-4]のとおり、税は貨幣を動かして、社会を貨幣化させます。
貨幣化した社会(=貨幣経済)とは、誰もが他者に仕事の成果を提供して貨幣を手に入れようとする社会のことです。
これにもう少し言葉を足せば、貨幣経済とは誰かに仕事の成果を提供すればカネが返ってきて、カネを支払えば誰かの仕事の成果を提供してもらえる、つまり、カネが「支えてもらう側になれる」チケットとして機能する社会のことであると言えます。
成果は人が提供する
ここで間違ってはいけないのは、「貨幣経済ではカネを支払えば必ず仕事の成果を分けてもらえる」とは限らないということです。
仕事の成果を分けてもらうには、当然その前提として、社会側にその分けてもらおうとしている成果を提供してくれる誰かがいなければなりません。
社会は自動販売機ではありません。図の「人々」は、もちろん人の集合体ですが、それは「社会」も同じです。私たちが仕事の成果を受け取るとき、その反対側には必ずその仕事をしてくれる誰かが存在します。
また、図では貨幣経済とはどんなものであるかを説明するために「人々」と「社会」を別々に描いていますが、もちろんこの2つは実際には別々のものではありません。
「社会」を構成しているのは「人々」であり、貨幣と仕事の交換は社会の中で行われており、実際に起きていることを説明するならば、こちら↓の図の方が正確かもしれません。
カネを払う人は支えられる側である
カネを払えばメシが食えるのは、食材と調理の技術を持つメシ屋さんが「カネをくれたらメシを作ってあげるよ」と言ってくれているからであり、メシ屋さんがカネのために「メシを作るよ」と言うのは、また別のどこかに「カネをくれたら仕事をするよ」という人がいるからです。
さらに言えば、メシ屋さんのために仕事をする人もまた別の人に仕事をしてもらうためのカネを得るためにその仕事をしています。貨幣経済は、このようにカネを媒介にして、人々が仕事の成果を持ち寄って分け合うことで支え合いが成り立っています。
つまり、(゚⊿゚)がメシ屋さんにカネを払えばメシを食えるのは、誰でもカネを払えばメシを食えるような支え合いの場をメシ屋さんとその周りの人々が作り上げてくれているおかげです。
カネを払う人は、"支えている側"ではありません。逆です。カネを払う人は、人々が作ってくれた社会という仕組みの恩恵を受ける人であり、"支えられている側"の人間です。
「人々」とは
支え合いの場・仕組みである社会を形作っている「人々」とは、いま生きている人たちだけを指しているわけではありません。
私たちの前の世代、そのまた前の世代、その前の前のずっと前の世代から、次の世代へ作り上げては引き継ぎ、作り上げては引き継ぎ、そうやって人々が何百年も何千年もかけて、現在の社会を作り上げてくれたおかげで私たちは豊かに暮らすことができています。
ときどき、私たちがそのおびただしい偉大な屍の上に立っていることを見つめ直し、自分は何をするべきなのか、何を思うべきなのか、考えてみてはどうでしょうか。
そこで
(゚⊿゚)<オレ!金持ち!えらい!
(゚⊿゚)<貧乏人!お荷物!ひざまずけ!
と思えたら・・・そら大したもんですわ(´・ω・ `)
まとめ
- カネは実体の無いデータであり、それに私たちの暮らしを支えるパワーは無い。
- 私たちの暮らしを支えるものは、カネではなく、財・サービスである。
- 財・サービスは必ず誰かの仕事の成果である。
- 経済社会における「支え合い」とは、仕事の成果を持ち寄り、分け合うことである。
- カネとは、それがあれば仕事の成果を分けてもらえるチケットのようなものである。
- 私たちがカネを払えば支えてもらえるのは、カネを払えば支えてもらえるような社会を人々が作り上げてくれているおかげである。
「仕事の成果をいかに持ち寄り、いかに分け合うか」こそが問題なのであり、経済の本質です。
貨幣を無視して経済を語ることはできませんが、「貨幣のやり取りこそが経済の本質である」というのは間違いです。
たしかに貨幣はこの問題に向き合うときに最も重要なツールではありますが、あくまでもツール・手段であって、目的ではないことに注意が必要です。
一時期、コロナに関連してよく耳にした"経済を回す"というフレーズですが、私はあまりあれが好きではありません。というのは、あれが「いかにカネのやり取りを活発にするか」という文脈で語られていたからです。
「経済活動」とは「仕事の成果である財・サービスを互いに持ち寄り、分け合うこと」であり、私たちが考えなければならないのは「限られた資源といくらでも発行できる貨幣を使って、仕事の成果をいかに持ち寄り、分け合うべきなのか」ということです。
今度テレビやネットで"経済評論家"や"経済学者"を見かけたら、その人がそういう視点で語っているかを注意して見てみてください。もし、その人がひたすらカネの話に終始していたなら・・・まあ、そういうことです。
それでは本日ここまで。
おまけ1 カネの話に終始するおじさん
ずっっっっっとカネの話しとんな(´・ω・ `)
経済の話をせえよ(´・ω・ `)
おまけ2 資本主義・共産主義の図解
これは私の勝手な独自理論ですが、「資本主義」「共産主義」というのはこんなイメージで捉えられるものなんじゃないかと今回の記事を書きながら思いついたので書いてみました。
本編で貨幣経済をこのように図示しましたが、
(´・ω・ `)<実は仕事の成果を提供する以外にも貨幣を手に入れる方法があります。
( ゚д゚)<そらええ話やないか。どうするん?
(´・ω・ `)<資本家になって労働者に働かせるんや。
(´・ω・ `)<さらに投資家になって資本家を働かせる方法もあるで。
(´・ω・ `)<この図に「政府」を足すと、こんな感じかの。
(´・ω・ `)<でな、この図はそのまま「資本主義」の説明になっとると思うねん。ほいで、ここから投資家・資本家を消したのが「共産主義」や。
( ゚д゚)<ほーん。そらええ話やな。
(´・ω・ `)<ちゃんと聞いとった?
日本人は本当はもっと豊かになれます。そのためにはもっと多くの人々が貨幣と経済の仕組みを理解しなければなりません。
私たちが、そして次世代の子供たちが、貧困に怯えずに暮らせる日本を目指しましょう。
( ゚д゚)<最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!!
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