経理屋が読み解く『MMT入門』

『MMT入門』(L・ランダル・レイ,2019,東洋経済新報社)をベースにMMTを解説します。ときには自分の思うところを書き綴ったり。

10-14.政府支出の本質

貨幣制度は素晴らしい創造物である。貨幣制度は、我々が公正な社会を実現するように政府を機能させるために必要な資源へのアクセスを政府に与える一方で、個人の選択をも可能にする。

MMT現代貨幣理論入門』kindle版 522/553pp

 

当ブログは、こちらの複式簿記を説明した記事を読んでいただいている前提で書いています。未読の方は是非ご一読ください。 

xbtomoki.hatenablog.com

 

当ブログの中で「B払い」という用語を使うことがあります。これは私の造語なので、ググってもd払いが出てくるだけです。ただ、使わせてもらわないと不便極まりないので、普通に使います。

こちらの記事で"B払い"って何かを説明していますので、記事途中で「B払いって何やねんな☹️」ってなったらご覧ください。

xbtomoki.hatenablog.com

 

目次 

 

本日のお題

( ゚д゚)<前回のおさらい〜

(´・ω・ `)<まず何を公益とするかを決める。んで、やろうとしとる政策がその公益に資するかを議論する。資する政策ならやるべき、反する政策ならやらないべき。このときに重要なのは経済学よりむしろ哲学とか法学とか文化とか歴史の知識や。

( ゚д゚)<ほんほん。

(´・ω・ `)<「世の中を良くしたい」っていう気持ちが無いとか、雑談に夢中とか、そういうのはそれ以前の話やけどな。

( ゚д゚)<ほんほん。

(´・ω・ `)<んで、何らかの政策が「やるべき」っていう結論になったらそれが実際にやれるかどうか、つまり実行可能性の議論に進むことになる。経済学、ていうかMMTに出番が回ってくるのはここからや。

( ゚д゚)<ほんほん。

(´・ω・ `)<MMTが示すのは、まず「実行可能性の議論にはカネは全く関係ない。なぜなら▲ボタンをポチポチするだけだから。」ってことやな。

( ゚д゚)<ほんほん。

(´・ω・ `)<それともうひとつ、MMTは【何が政府支出の実行可能性を制限するものなのか】ってことも説明しとる。

( ゚д゚)<ほんほん。と言いますと?

(´・ω・ `)<その辺はまた次回にしよか。

( ゚д゚)<ういー。

(´・ω・ `)<今日はちゃんとおさらいしてくれたの。

( ゚д゚)<おうよ。必殺おさらい人と呼んでくれ。

ということで、今回のお題は、

【政府はどのような財政政策を行うべきか】

からの派生のこちらになります。

【政府支出の実行可能性を制限するものは何か】

(´・ω・ `)<よろしゅうな。

( ゚д゚)<まかしときー。

(´・ω・ `)<ちゃうちゃう。ぼくが教える側よ。

( ゚д゚)<そか。そしたらきみは何をする側なんや。

(´・ω・ `)<教える側やて言うとるじゃろ。

( ゚д゚)<ほう。そかそか。そしたらきみは何をする側なんや。

(´・ω・ `)<どうした。眠たいんか。

 

結論

まずはもう一度結論をおさらいしておきましょう。

政府は、それが公益に資する限り、実行可能な全ての財政政策を実施するべきである。

実行可能であるかどうかは、その政策に必要な実物資源が利用可能かどうかで決まる。

よって、財政政策に関する議論に必要な論点は、

  • 公益に資するか。
  • 実物資源は足りるか。

この2つだけである。

(´・ω・ `)<ほいで、【政府支出の実行可能性を制限するものは何か】の方も結論からやっとこうかの。

( ゚д゚)<ういうい。

 

実行可能性に関する結論

「政府支出の実行可能性を制限するもの」とは、実物資源である。政府支出がカネによって制限されることは決して無い。

例えば、公益に資すると評価したダム建設事業が何らかの理由で「実行不可能である」とき、その理由は、

  1. 作業員が足りないから
  2. 重機が足りないから
  3. コンクリートが足りないから
  4. カネが足りないから

これらのうちの1.〜3.であることは考えられますが、4.が理由になることはありません。[10-5]のとおり、政府はいくらでもカネを支払うことができるからです。*1

(´・ω・ `)<カネが政策実行の制限にならんことはもうこれ以上詳しく説明せんでも分かるじゃろ?

( ゚д゚)<うい。そらそうやろな。政府はいくらでも支出できるけーの。

(´・ω・ `)<ざっつらいと。ほいだら、【政府支出は実物資源によって制限される】に的を絞ってこれの詳しいところを説明してくで。

( ゚д゚)<ういー。

(´・ω・ `)<ほいだらやってこかー。

( ゚д゚)<ういー。

 

支出の本質

[10-10]のとおり、貨幣経済とは、カネを支払えば見返りに社会から仕事の成果を提供してもらえて、社会に仕事の成果を提供すれば貨幣が得られる社会です。

以降、A払い・B払いを区別せず「カネを支払うこと」をまとめて《支出》と呼ぶことにします。

 

実物資源とは

ここで、社会が仕事の成果を提供するには、当たり前ですが、仕事を遂行する必要があり、仕事を遂行するには次の要素が必要になります。

  • 仕事をする人
  • 製品の材料
  • 仕事に使う道具や消耗品

すなわちヒトとモノです。これら「仕事を遂行するために必要なヒトやモノ」のことを《実物資源》と呼びます。つまり、「仕事をする」とは、「実物資源を利用する」ことであると言えます。

 

支出と実物資源

ここでもうひとつ、仕事の成果は必ず支出をした人が受け取るとは限りません。

例えば、友人に食事をおごれば、「支出をして、他者に仕事をお願いするけど、その仕事の成果は自分以外の誰かに譲る」ということになります。

つまり、支出は仕事の成果と直接結びついているわけではなく、「貨幣経済では、支出をすれば仕事の成果を得られる。」というのは、実のところ完全には正確な言い方ではありません。

貨幣経済では、支出をすれば誰かに仕事をさせることができる。」または「貨幣経済では、支出をすれば、支出した分だけ実物資源の利用方法を決める権利を得られる。」というのがより正確な表現です。*2

 

政府支出の本質

実物資源は、いくらでも作れるカネとは違い、数や量に限りがあります。よって、社会が実行できる仕事の量には限りがあります。

但し、人は休めばまた働けますし、材料は搬入を待てば調達されますので、時間経過によって実物資源は回復するものと考えられます。なので、これもより正確に表現するなら「一定期間に実行できる仕事の量には限りがある」となるでしょう。

 

政府支出の効果

ところで、貨幣経済には政府も参加することができます。政府が支出をすれば、一部の実物資源の利用方法を政府が決めることになります。

 

用語の整理

ここで、以降の説明を読みやすいものにするために用語とついでに図を整理しておきましょう。

「政府が利用方法を決める資源」のことを「政府資源」、同様に「民間資源」、「人々」は「民間部門」、「利用方法が決められておらず、利用されていない資源」は「遊休資源」と呼ぶことにします。

 

政府支出の限界

さて、ということは、「政府が支出を増やす」とは、政府がより多くの実物資源の利用方法を決定するということであり、これを言い換えれば、民間資源または遊休資源であった資源を政府資源に置き換えるということです。

 

よって、極端なことを言えば、政府が際限なく支出を増やし続ければ、いつかは全ての民間資源と遊休資源が政府資源に置き換わってしまいます。

 

そして、この「これ以上は政府が利用方法を決められる実物資源が無い、支出する対象が消失してしまっている状態」が「政府支出の限界」です。

この状態では政府がいくら支出を増やしても何も起きません。政府はいくらでも支出できるので、ここからさらに支出を増やそうと思えば増やせますが、いくら増やしたところで何も起こすことはできません。

 

政府支出の現実的な限界

但し、実際にはここに至るもっと前の段階で民間部門が悲鳴を上げることになるでしょう。

実物資源にはヒトとモノがありますが、ひとまずヒトについて考えてみます。例えば、政府が公務員を増やすために好待遇を約束して大量に中途採用の募集を行ったとしましょう。

民間部門で働いていた人々が次々と公務員に転職していきます。あらゆる会社から1人、また1人と社員が減っていきます。社員の半分もいなくなれば廃業寸前でしょう。

好待遇を求めて辞めていった社員に戻ってきてもらうためには、会社は政府以上の好待遇を提示しなければなりません。政府が提示した条件が月給50万であったなら、会社は月給60万を提示することになるわけです。

これはもちろん辞めた社員を連れ戻すのではなく、遊休資源(=失業者)を雇って欠員を補充する場合でも同じです。また、他社も同じく政府に社員を奪われています。そこに競争が生まれたら、もしかすると60万では済まないかもしれません。

さらにこの人件費アップが会社の商品価格に転嫁されたときには物価が上昇します。この現象は一般に"インフレ"と呼ばれます。これは「あらゆるインフレはこのようにして起こる」という意味ではありません。インフレが発生する原因・きっかけ・経路には様々なものが考えられます。これはそれらのうちの1つに過ぎません。

 

実物資源の視点から見た政府支出

つまり、政府支出の仕組みはこのような↓ものであることは間違いありませんが、

 

政府支出の本質はそこではありません。政府支出の本質を捉えるには【実物資源】の視点に立つ必要があります。つまり、政府支出の本質とは「民間資源または遊休資源もしくはその両方を政府資源に置き換えること」です。

これは、政府支出には必ず民間部門の実物資源へのアクセスを阻害してしまうという悪影響が伴うことを意味します。

だとすれば、世の中を良くするために存在する政府には支出に際して常にその悪影響を考慮する責任があると言えるでしょう。

よって、政府が自身の責任を果たすためには、政府は[10-13]の公益に関する議論で支出を肯定する結論を出したとしても、それだけで支出を決定することはできません。必ずその次のステップとして、「その支出によって民間資源・遊休資源が減ることを民間部門は許容できるか」を議論することが求められます。

 

まとめ

  • 仕事とは「実物資源を利用すること」である。
  • 支出とは「支出先に仕事をさせること」であり、それはつまり「実物資源の利用方法を決めること」ということである。
  • カネを支払うこと自体はいくらでもできるが、実物資源には限りがあるので、"いくらでも仕事をさせる"ことはできない。
  • 支出を増やすことは「限りある実物資源のうち、支出者が利用方法を決める分の割合を増やすこと」である。
  • 政府が支出を増やせば、政府資源が増えて、民間資源・遊休資源が減る。
  • 政府は"世の中を良くする"ことを目的として支出をするならば、民間資源・遊休資源の減少という悪影響を十分に考慮した上で支出の是非を判断するべきだ。

これは「政府支出は悪いものだ」「政府支出はできるだけ少ない方が良い」という意味ではありません。

公益に資する支出がやはり公益に資するものであることは間違いありません。但し、政府支出には必ず民間資源・遊休資源の減少という悪影響が伴うので、【公益に資することだけをもって、「政府はその支出を行うべきだ」とは言えない】ということです。

以上を端的に言い表せば【政府支出の実行可能性を制限するものは実物資源である】となり、政府はいくらでもカネを支払うことができることを併せて考えれば、次の結論に至ることになります。

「政府支出の実行可能性を制限するもの」とは、実物資源である。政府支出がカネによって制限されることは決して無い。

 

そして、これを[10-13]の内容とまとめて考えれば、このように↓なります。

政府は、それが公益に資する限り、実行可能な全ての財政政策を実施するべきである。

実行可能であるかどうかは、その政策に必要な実物資源が利用可能かどうかで決まる。

よって、財政政策に関する議論に必要な論点は、

  • 公益に資するか。
  • 実物資源は足りるか。

この2つだけである。

 

次回予告

( ゚д゚)<おつかれさん。これにて完結か?

(´・ω・ `)<いや、あとちょい。この図を使って、

(´・ω・ `)<税と実物資源の話、それから実物資源の観点から見たときにJGPってのは何なのかって話をしときたいんよ。たぶんそれでおしまいかの。

( ゚д゚)<そかそか。

(´・ω・ `)<せやせや。

 

 

それでは本日ここまで。

 

 

おまけ

おそらく本記事が今年最後の更新になると思います。今年も1年間お世話になりました。

来年は年明けに第10章の最後の記事をアップして、その後はまた[1-1]から(イントロダクションからだったら[0-1]からですね。いや、「複式簿記とは」から書き直したいな。)、また書いていこうと考えています。そのタイミングで、ときどき誤解を招いているらしい『国債乱発派の〜』というタイトルも変更の予定です。

それでは、また来年もよろしくお願いいたします。

(゚⊿゚)( ゚д゚)< 良いお年を! >(´・ω・ `)

 

 

 

日本人は本当はもっと豊かになれます。そのためにはもっと多くの人々が貨幣と経済の仕組みを理解しなければなりません。

私たちが、そして次世代の子供たちが、貧困に怯えずに暮らせる日本を目指しましょう。

 

( ゚д゚)<最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!!

応援コメント、指摘コメント、お待ちしております!当ブログの拡散も大歓迎です!

よろしくお願いします!

 

*1:これ以外にも「建設する技術が無い」等の理由も考えられます。技術は後述の《実物資源》に含める考え方もありますが、話がややこしくなり過ぎるので、本記事では含まずに考えることにしました。

*2:「あれはウソでした」というわけではなく、「貨幣経済という社会の仕組みは貨幣を媒介に仕事の成果を持ち寄り分け合う仕組みだ」ということを説明するには、「貨幣経済では、カネを支払えば誰かに仕事をさせることができる。それによってカネを支払った人はその仕事の成果を得られる」だと、無駄にくどくて分かりにくくなるので、過不足無い表現にしたということです。